皆さん、こんにちは。
元事務のライター、山田です。
春ですね。天気が良い日、空を見上げるたび思います。
「ああ、働きたくない。惰眠を貪っていたい」と(笑)
けれど、大人になると皆、なんらかの労働に従事するようになります。
働くことは、憲法で定められた義務だから。
働かなければ生きていけないから。
ただ、労働が必要だとわかっていても、そんな義務感だけで働いていると実に簡単に限界がやってきます。
「自分はなんのために働いているのだろう」
「お金のためにあくせくしている自分がなんか虚しい」
「頑張っても給料も評価も上がらない」
「自分でなくてもこんな仕事、代わりはいるもの」
これらは実は私自身思ったことがあるフレーズばかりです。
会社員時代、仕事にも慣れて、呼吸するみたいにそれぞれの作業ができるようになってきたころ、こんな思いによく捕らわれました。
私がやっていたのは、社員の給与計算、役員秘書、営業事務など多様な役割を求められる事務作業で、いろいろな仕事をこなせることに入社当時は魅力を感じていました。
様々な経験やスキルが求められる仕事だったので、最初のうちはただがむしゃらで、他事を考えている余裕なんて一ミリもないくらい毎日があっという間に過ぎていきました。
けれど、そんな生活が一年経ち、二年経ち、三年経ったころから、なんとなく仕事に対して虚しさを感じるようになっていきました。
慣れとは恐ろしいものです。昔なら全神経をとがらせて当たらなければこなせなかった作業が一瞥の元に終わるようになってしまうと、恐ろしいほど張り合いがなくなってしまうのです。
会社から評価されている、という実感も感じられなかったことも手伝い、私はこう思うようになりました。
「こんなものか」。
そして、そう思い始めたころから毎日会社に行くのが億劫に感じるようになりました。
朝、メイクをして駅に向かう。
電車に乗り、同じように通勤する人々に背中を押される。
会社に着いて席に座り、メールチェックをする・・・。
全部全部が面倒になってしまいました。
今思えば、働く意味を見失っていたのかもしれません。
このまま会社を辞めてどこか遠くへ行こうか。
実家に帰ろうか。
いろいろ思い悩みましたが、そのどれも私は選びませんでした。
思い切って全部を捨てる覚悟が持てなかったためです。
結局は働かなきゃいけない。
ここでリタイアしても何も残らない自分が残るだけだ。
じゃあ、どうしたらいいだろう。
今、この記事をご覧いただいている皆様の中にも、事情や理由はそれぞれ違うにせよ、同じように「働く」ことについて悩んでおられる方がいらっしゃるかもしれません。
今日はそんな落ち込んだときにこそ聞きたい、偉人たちの格言をご紹介します。
(言:津田梅子)
紙幣の刷新のニュースも記憶に新しいと思いますが、この言葉は新五千円札に登場予定の教育家津田梅子の言葉です。
津田梅子とはどんな方なのか。
津田梅子=
明治、大正の教育家。女子教育の先駆者。
若干8歳にして日本初の女子留学生として渡米。津田塾大学の創始者。
今でこそ留学も珍しい選択肢ではありませんが、当時で考えればかなり革新的ですよね。
女性は家を守るのが務め、と言われていた時代に女子教育について訴えていくのはきっと大変だっただろう、と想像できます。
そんな時代に自分の信念を訴え続けた方だからこその思いだろうな、と感じるのがこの言葉です。
「環境より学ぶ意志があればいい」。
きっと「女のくせに」と言われたこともあったんじゃないかな、と思います。
けれど、彼女は自分自身の意志で学ぶことを選んだ。
それは曲げられない「自分」というものをこそ、大切にしていたからではないでしょうか。
「周りがなにを言おうと、学びたいという思いがあれば道は開ける」
と、この言葉を聞くと言われているように思えるのです。
自分を取り巻く環境で自分の生き方を変えてしまうこともあると思います。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
本当にそれで幸せと言えるでしょうか。
環境がどれほど恵まれていなかったとしても、それに甘んじて自分の心も折ってしまうのは正しいこととは思えません。
「この会社で私って必要?」
「私、ここで役に立ってる?」
「頑張っても評価されないし、働くってほんとなんなの・・・」
など、自分を取り巻く環境を振り返り、会社で働いていて自分の意義を問いたくなることは往々にあります。
けれどそれって結局、自分自身で道を閉ざしていることとイコールなんじゃないかな、と思うのです。
会社から評価されようがされまいが自分は自分。自分が一生懸命取り組んできたことは自分が一番知っているし、その気持ちがあればいくらでもまだ前に進めます。
会社がどうとか、周りの目がどうとではない、自分を持つこと。
おそらく働く上で自分を支えてくれるのは、その強い意志なんじゃないかな、とこの言葉を読んでいて思えました。
(言:坂本龍馬)
坂本龍馬=
幕末の志士。敵対する長州藩と薩摩藩に手を結ばせ、薩長同盟を成し遂げた大政奉還の立役者。
日本史の教科書から坂本龍馬の名前が消えるかも!なんて話がありましたが、個人的に消すの断固反対です。なぜなら生き方も、残した言葉も魅力的なこんな方が後世に語り継がれなくなるなんて日本の宝が一つ失われるのと同じくらい罪深い!って思ってしまうからです。
坂本龍馬が活躍していた当時、まだまだ自分で自分の職業や進む道を選びにくい時代だったのに、そんな時代にあって多くの可能性を想定していた龍馬はやっぱりすごい!
そして、今回取り上げさせていただいたこの言葉は、現代のわれわれの心にも変わらず響くだけの強さを持っています。
真面目な人にありがちなのですが、一つの仕事がうまくいかなかったことで、
「自分てなにをやってもほんと駄目」
と自己否定をしがち。
働いていて、働く意味を見失う理由の一つは、自分に自信を持てないことから起こることもしばしばです。
けれど、仮に今の仕事が自分の適性に合致していなかったとして、他の可能性がまったくない、となぜ言えるでしょうか?
経理をやるには大雑把過ぎて失敗ばっかりしてしまう人がいたとして、実はそのおおらかさを活かし、接客や医療関係に特性を見出せることだってあります。
道は一つじゃなく、まさに百も千も万もあるのです。
あるいは、仕事が退屈で退屈で、この先も続けていくのが苦痛、というのであれば、無限に広がる自分の可能性を今一度考えてみることで、退屈にうずもれてしまった働く意欲が再び蘇ることもあり得ます。
大事なのは自分で自分の可能性を一つに限定してしまわず、広い視野を持って道を探すことではないでしょうか。
(ずいしょにしゅとなれば、りっしょかいしんなり)
(言:臨済義玄=りんざい ぎげん)
臨済義玄=
日本仏教の臨済宗の元となった中国禅宗五家の一つ、臨済宗の宗祖。
ちなみに、アニメ「一休さん」で有名な一休宗純も臨済宗。
昔の中国の臨済宗の宗祖、と聞くと、なんともものものしく聞こえるのですが、この言葉はとっても人間らしいもの。
意味は、
「いつ、どんな場所、どんな状況でも、自分を信じて主体性を持って行動すれば、あなたがいる場所はまことになる」
という意味のよう。
ただこの言葉の深いところは、「主体性」という言葉が自分勝手なふるまいを許しているというわけではない、というところ。
人はいろいろな人や場所と関わりを持ちます。そのすべての場所において、真摯な態度で接し、感謝し、愛することで、その場所は自分の真の場所になる、というのが真意だそうです。
自分の意志を貫くことの大切さ、自分で道を選ぶことの強さを先の二つの言葉からは教わったけれど、
「自分はなにがしたいかもわからない」
「自分には誇れるものなんてやっぱりない」
「この会社ではなんとか仕事ができるから、ここにいるしかない」
と言う思いを抱いている方も中にはいらっしゃるはず。
もしもそんな思いを抱かれているのであれば、この臨済義玄の言葉をぜひ思いだしてください。
どんなことだって続けていくことで、そこが自分の働く場所になる、ということもあるのだとこの言葉は教えてくれているようにも思うからです。
もちろん、漫然と日々を同じ場所で過ごせばいい、というわけではありません。
ようはその場所で精一杯尽くすことで、自分の場所は手に入る、ということなのです。
働くことの意味をこれからも問わないといけなくなりそうな気もしますが、長い積み重ねの果てに振り返ったとき、
「自分はここで精一杯働いた」
「ここで自分の歴史を作った」
「自分が働いたことに意味は確かにあった」
ときっと思えるはずです。
いかがでしたでしょうか?
今日ご紹介した三人の偉人は皆、時代も生きた場所もそれぞれまったく違う三人です。
けれど共通するのは「強い信念があった」というところだと思います。
人には心があります。けれど仕事をしているとどうしても心が失われていく瞬間は訪れます。
その原因は慣れだったり、その作業の意義を見失ったり、周りからの評価に疑問を感じたりさまざまです。
心を失ってしまうと、働くことがしんどくなります。
けれど誰かにどうにかしてもらえるものでもありません。
自分でなんとか折り合いをつけていくしかないのです。
そしてそれは誰もがいつかは課される試練。
今日ご紹介した偉人たちも最初からこんなにすごいことを言える人たちではなかったのではないでしょうか。
きっとそれぞれの場所で傷つき、苦労して、それでも立ち上がって偉業を成し遂げて来られたはずです。
放り出してしまえば簡単なのにそうはせず、信念を持って立ち上がってこられたはずです。
私は普通の人間だし、彼らのような鮮烈な生き方はできないかもしれません。けれど、彼らの言葉に込められた「信念」を受け取り、力に変えることはできました。
「経験者は語る」なんて言いますが、必死に戦ってこられた方たちの言葉だからこそ、それは働くことに悩み、立ち止まってしまったときの薬になります。
今日お伝えした三人の偉人の言葉はあなたにとっての薬になれたでしょうか?
もしも、今日ご紹介した格言によって、
「もう一度頑張ってみようかな」
と思うきっかけになってくれれば、この上なく幸いです。
【ライター:山田 ゆい】